バッジテストを取り巻く環境1(普及元年以前)

 バッジテストを書くにあたって、バッジテストを取り巻く環境の変化について予備知識として整理しておきます。

 まず、日本トランポリン協会では平成20年(2008年)をトランポリン普及元年としています。そこで、普及元年以前・普及元年・普及元年以降の3つの時期がありますので、それぞれについて書いていきます。

 まず、普及元年以前ですが、これ以前にもトランポリンの普及指導員制度は存在し、普及指導員による普及活動は行われていました。

 この時期はトランポリンを競技と普及と2つに分けて考えていました。ここで、競技とはチャンピオンスポーツとしての競技を意味し、普及とは社会人のレクレーション・トランポリン(レクトラ)と、こどものトランポリン・エアリアルトレーニング(こどもの素養づくり)、その他のトランポリンの利用法の3つが考えられていました。

 この時期にすでに、普及については、社会人向けの指導方法とこどもの素養づくり向けのエアリアルトレーニング指導法を確立し、普及指導員にその指導を行わせていました。しかし、現在と異なり、競技者向けの指導についてはコーチ任せで、実績のある指導者をコーチとして認定していました。つまり競技者向けの指導方法を日本トランポリン協会は確立しておらず、各コーチが独自に編み出したコーチングによる選手育成が行われていました。

 整理しますと、3つの利用法があるのに「競技」と「普及」の2つに分類されていて、普及の中にある社会人向けの指導とこどもの素養づくり向けの指導方法は確立していましたが、競技者向けの指導法が確立されていないという片手落ちの状態でした。こどもの競技者向けの指導方法は確立されていないため、競技指導を行わない普及指導員が指導するトランポリンクラブに入会すると、たとえトランポリン競技をしたい子であっても、素養づくりのためのバッジテストの指導が行われることになりました。つまり、最初にどこのクラブにはいるかでトランポリン選手になれるかなれないかが決まってしまうといえる状況になっていました。